オンラインギャンブルの始まりは、1994年にカリブ海の東に位置する小さな国アンティグア・バーブーダでギャンブルのライセンス発行を許可する可決がなされたことから始まったと言われています。当時このニュースは、またたく間に世界中に広まりオンラインギャンブルの正式な許可を得ようと多くの企業が殺到したと言われています。
オンラインカジノには、オンラインカジノ運営会社とゲームソフトウェア会社が不可欠です。
1994年に世界初となるカジノゲームソフトウェアを制作するマイクロゲーミング社(Microgaming)がマン島に設立されました。 その翌年1995年にはアイルランドにクリプトロジック社(CryptoLogic)が設立され、両企業はいままで多くのゲームを開発し、現在も老舗のソフトウェア会社としてオンラインカジノ業界に貢献し続けています。
90年代はまだテクノロジーが発展途上で、ゲームのポートフォリオはまだまだ多くはありませんでしたが、マイクロゲーミング社とクリプトロジック社は日々切磋琢磨を続け、ゲームソフトの制作以外にもそれぞれソフトウェアの開発を進めていました。
マイクロゲーミング社は、顧客管理マネージメントシステムを開発し、そのソフトウェアはゲーミングクラブでも使用されました。また、クリプトロジック社はオンライン上で安全にプレイヤーが金銭のやり取りができる初めてのオンライン決済のセキュリティソフトを開発しています。
そして、1995年に世界初となるオンラインギャンブルの運営ライセンスが、ジブラルタル政府によってゲーミングクラブ(The Gaming Club)に発行されました。ゲーミングクラブは現在も営業を続けている老舗のオンラインカジノで多くのカジノプレイヤーに親しまれています。
また、初めての賭けがなされたのは1996年11月17日で、日本人プレーヤーにも馴染みオンラインカジノ運営会社であるインターカジノ(InterCasino)だったとの記録があります。
さらに同年96年に、カナワキゲーミングコミッション(The Kahnawake Gaming Commission)が、カナダのモントリオール近くに位置するカナワキ領土内で設立されました。現在も世界中で数多くのオンラインカジノがカワナキのカジノライセンスを得て運営しています。
こうして、オンラインカジノの運営会社の数も年々増え続け、1997年には200以上ものカジノ運営会社がオンラインギャンブルの業界でのシェアを巡って競争をするようになりました。遂に1998年にはオンラインカジノ業界全体の収益は834.5億ドルとなりました。
オンラインカジノ業界の形成期である1999年には、アメリカがオンラインギャンブルに対して厳しい姿勢を取り始めたのがきっかけとなり最初の脅威にさらされました。インターネットギャンブル禁止法はアメリカ人プレイヤーがオンラインカジノへアクセスする制限を厳しく行いました。この措置は失敗に終わりましたが、ギャンブル業界でロビイストグループの誕生のきっかけとなりました。
2000年、問題を抱えたギャンブラーの割合が最も多いとされるオーストラリアでは正式な運営ライセンスなしで営業するオンラインカジノ業者を防止するモラトリアム法が可決されました。
そして同じく2000年に、ソフトウェア企業のクリプトロジック社(CryptoLogic)はナスダックに上場しました。
また、2000年半ばには、アメリカ合衆国司法省(DOJ)は、全米放送事業者協会および大手系列放送局に対し、ギャンブル的内容を含む広告を放送することは法的に処分される対象となり、オンラインギャンブル広告主に対しては措置をとることを警告しました。アンティグア・バーブーダ はすぐにその決定に異議を唱え、国の自由貿易協定に違反したと主張し、2004年に世界貿易機関(WTO)に訴訟を提起しましたが、遅すぎる結果となりました。2006年の政治シーズンの終わりに、米国議会は違法インターネットギャンブル施行法(UIGEA)を可決しました。この法案は最も厳しくギャンブルを取締るギャンブル対策で、アメリカ合衆国の領土内でのあらゆる種類のオンラインギャンブル活動を停止しました。ギャンブル会社への支払い処理を不可能にし、隅々まですべての運営会社を追放しました。
しかし、世紀の変わり目の2001年には、プログレッシブジャックポットで初の勝利者が誕生。なんと415,000ドルの賞金を獲得しました。
早くも2002年にはオンラインギャンブル業界全体の価値は4.5兆ドルを達成しました。
オーストラリアは世界の中でもギャンブルが盛んに行われている国のひとつです。成人全体の80%がギャンブルを経験したことがあると公表しています。この結果はオーストラリア人にとってギャンブルが身近にあり、ギャンブルに対しての考えが柔軟であることが分かります。ほかの国に比べても、オーストラリア人はギャンブル好きな国民性として知られています。
オーストラリア政府はオンラインカジノを合法にする動きも見せていますが、この動きはオンラインカジノを合法的に規制するためだとも言われています。2001年オーストラリアはオンラインギャンブルを規制するインタラクティブギャンブル法(Interactive Gambling Act)を可決しましたが、2010年までにオーストラリア国民は8億ドル以上をオンライン上のギャンブルで賭けています。
最近、オーストラリア通信メディア庁(ACMA) は、正式なライセンスを持たないカジノ運営者を根絶するための法案を可決しました。2018年にACMAは無許可で運営している33のブックメーカーを閉鎖したと報告しています。しかし、オーストラリア国内ではスポーツブックやカジノ運営会社が合法的に運営もされており、国民に親しまれているのも事実です。
カナダでは1970年頃までギャンブルは厳しく禁止されていました。しかし1985年に州や領土のいくつかでスロットマシンや宝くじ等のギャンブルが認められたことで、国内のギャンブルに対する環境は飛躍的に変化したと言われています。現在、国内にはカナダ政府が運営するランドカジノがほとんどの州にあり、カジノ大国として知られるようになりました。ギャンブルに関して、カナダ国内の10の州と3つの領土でそれぞれに異なる規制が定められています。1996年に設立されたカナワキゲーミングコミッションはカナダのKahnawake Mohawk領土内にありオンラインカジノの正式な運営ライセンスを発行している機関です。しかし、カナダ国内でオンラインカジノを運営をすることは合法ではありません。
縮小していく米国市場はすぐに海外の業界にも影響を及ぼしました。2007年イギリスは賭博法を可決。これによって民間カジノの発祥の地であるイギリスにおいて、ギャンブル業界は急速に発展していくこととなります。2010年までにイギリスのカジノ運営会社はヨーロッパにも進出し、着実に運営されていました。支払い処理業を行うさまざまな企業と提携し、オンラインカジノで利用できる決済手段の拡大を進めていきました。
一方、2011年のブラックフライデーに米国のオンラインポーカー業界に大変な出来事が起こりました。ポーカースターズ(Poker Stars)、アブソリュートポーカー(Absolute Poker)、フルティルトポーカー(Full Tilt Poker)などのオンラインポーカーサイトの有名企業の幹部11人がゲームを違法に配布したとして起訴されました。2012年、ニューヨーク連邦の判事は「ポーカーは技術を要する競技」であると判断しました。そして2013年には、現在アメリカ国内でオンラインカジノの拠点となっているニュージャージー州、デラウェア州、ネバダ州で、州の居住者と観光客だけが利用できるカジノとギャンブル運営者のネットワークを活性化し確立させようと動いていました。
2013年から2017年、ヨーロッパでの市場が急速に発展している間にも、ロビイストは米国でのギャンブル規制に反対し続けました。2018年、アメリカ合衆国最高裁判所はスポーツ賭博を禁じた1992年の連邦法「プロフェッショナル・アマチュア・スポーツ保護法(PASPA)」の廃止を決定しました。これにより、事業者はギャンブル活動を推し進めていくようになりました。
ヨーロッパにおいてオンラインギャンブルは依然として制限されており、イギリスで新たに導入された増税とイタリアでの広告の全面禁止により逆風に直面しています。しかし、ヨーロッパは引き続きオンラインギャンブル業界にとって最も重要な場所であることに変わりはありません。
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